2012年9月23日日曜日

みをつくし 北川景子 澪 大阪弁 力強い 逸品 昆布鰹だし

みをつくし 北川景子 澪 大阪弁 力強い 逸品 昆布鰹だし

まるで常盤貴子の「神様」を見てるみたいだった。


神戸出身きーたんの関西弁は破綻なしだ。
しかし、はじめは弱弱しい台詞に流されていたが
最後は力強いメリハリの大阪弁で商売・天下の台所という威厳さえ感じられた。


大坂は天下の台所
米をはじめ全国の農産物が集まってました。

大坂の昆布は北海道から北前船で大坂へ。
大坂で加工され江戸へ下るころには値段がアップ。
武士にはこの仕組みがわからず幕末まで商人に税金を掛けずじまい。
この商品の季節的・地理的乱高下を緩和するために大坂堂島米問屋で開発された商い方式が「先物」取引。この1600年代に堂島で生まれた取引方式は今やアメリカシカゴやシンガポールなど全世界に広まってます。

でも炊き込みご飯も関西では昆布のみ、絶対かつをだしは入れませんが東出身道場六三郎謹製炊き込みご飯の基はだしは鰹でした。しかし江戸庶民は戻り鰹には見向きもしないのくだり、「武士は食わねど」的見栄文化を感じました。またとろとろ茶碗蒸しも当時の江戸には無かったのでせうか。
へーーーーーーーーーーーーーー。

江戸は独身天国。財産を継げるのは長男のみ。次男以降は結婚もできず江戸に集まった次男・居候武士に重宝されたのが

コンビニエンスショップ=屋台
寿司
てんぷら
そば
江戸名物は全て屋台発祥!?
そもそもその三大江戸名物を支える醤油からしてコンビニエンス!むかしはくさやとかひしおで発酵させたもので手間がかかりましたが、塩で有名な赤穂の隣町竜野で発展した醤油が江戸近郊の野田に上陸発展、掛けるだけのコンビニ調味料として江戸で広がりました。

江戸ではご飯は朝炊き夜は冷や飯(関西は夕方炊き朝はおかゆ)。昼飯は手の空いたとき近くの屋台、食べもん屋ですばやく食べる。

屋台も吉原もすべて独身江戸文化だったのですね。
(その為か幕末には江戸市中の梅毒罹患率は限界値近くのの50%!維新の遠因になったほどです。)

今回料理人をしたきーたん。

私的に大好物は京都王将の餃子だとか。

最後吉原の二階窓越しで吉原に身を売らねばならなかった幼馴染との2階窓越しの再会シーン。
江戸身分社会の二度と同じ土俵に戻れない窓越しのコンコン再開、大変うれかなしゅうございました。

その生き別れた幼馴染おいらん役は

あの「ちりとてちん」の貫地谷しほりだったのですね。

最後に表題みをつくし

漢字で書くと澪標
航路を示す目印のことらしいです。


そう。実は大阪市の市章なんです。
したかもとか読み辛い市長が民営化しやうとしている大阪市営バスにもちゃんと澪つくしのマークが先頭についてます。

ちなみに東京都はイチョウ

澪つくしと聞けば・・
朝ドラヒロイン堺出身沢口靖子はこれで全国区になりました。